今日、どこかで見たことのある
学園名の書かれた封書が届いた。

どこだったっけ?


封を開けてみると、

家族新聞の恩師の 訃報だった。

(ちょっと これは 大阪弁で
かかれへん気がしたので、
普通の文章に戻してます。)

この4月初めに
「ついに来たか」と言い残して 
旅立ってしまわれたという。

娘の小学校で
PTAの広報委員になって3年間。
中学校で、さらに3年間。

計6年間も
毎年 新聞社のPTA新聞講座で 
教えを請うた。

2年目の講座で
わが家でも「家族新聞」を
作っているという話を
個人的にしてみたら、
是非、私にも送って下さいと言われ、
それ以来、ずっと 読者になって
下さっていた。

PTAを離れて 10数年間、

家族新聞と年賀状のやりとりで

「わが家の家族新聞を
他の新聞講座で いつも
紹介させてもらいます。」という
有り難いお言葉も貰っていた。

それも 
私の新聞づくりが長く続いた
要因のひとつだと思う。


学生時代に 広島で
被爆されて以来 
いろいろと苦労されたり、
体調も きっとすぐれない時もあったと
思うけれど、

いつも 人なつこい豪快な笑いが
素敵で、

本当に面倒見のよい方だった。

最愛の奥様を亡くされた後
ご本人も癌で手術。

そのあとも、
相変わらずの 多忙ぶり…。


 その交友関係があまりに広いので、
友人の人たちが
「友人葬」を されるのだそうだ。

封書は その連絡だった。

年賀状の宛名が
千数百あったとか。

だから 先生からの年賀状も 
随分遅れて届いたんだぁっと
納得。


遠方で 出席はさせてもらえないが、
お花だけでも 送らせていただこう。

 

実は、今年の3月20日に
10年以上ぶりに 小林先生から
電話が かかってきたのです。

「あなたですか?
ぼくの書いた本のことを 
ブログに載せてくれた人は?

ボクの名前で検索してみたら、
出てきたのです。

ブログに書いてくれる人は
あなたくらいしか
思いつかなかったので…」

PTA新聞の講習を受けて
それをブログで公開している人は
1人だけ知っていたので、
その方ではありませんか?と
答え、

しばらく お話しして
電話を終えたけど、

あの電話は
先生からの お別れの言葉だったのかな。