今日は 天六 (てんろく: 天神橋六丁目) にある
『大阪くらしの今昔館』へ
相方 とあーちゃんと えいみ と
あーちゃんの兄(うちの伯父)と
の 4人で 行ってきた。
江戸時代の天保の大坂の街並みを
上(10F)から眺めた。
これは そのころの 街並みを実物大に
復元しとるんやそうや。
火の見櫓と 物干し台が 見えとる。
もぅ少し 左に 移動したら
人が いっぱい 集まっとるところがある。
なんやろぅ と
下(9F)に下りてみたら、
「ウルユス」 (※1)ちゅう看板の
合薬屋の中で
琴の演奏会を やっとった。
琴と 三味線と 和製の胡弓みたいな楽器で
ちょうど「月の砂漠」を 演奏しとったわ。
そのあと 琴に合わせて
「うさぎ うさぎ 何見てはねる? 」と
「かごめ かごめ かごの中のとりは? 」の
2曲を みんなで 合唱したんや。
琴の演奏会が終わったら
その階にある 町屋を 見学してまわった。
人形屋の前では こま回しや ぶんぶん鳥?を
回して 遊んだで。
「唐高麗物」てゆう 看板が上がった唐物屋(輸入商?)では
エレキテルの模型があった。
密かに (わぁ… こんな所に 源内さんがぁ…)って
喜んでしまったわ。
係の人が ここで 商家の戸締まりの仕方を
実演して見せてくれはった。
なかなか 工夫されてて おもしろかったわ。
このあと 8階に下りて
近代 (明治・大正・昭和) の大阪を見たんやけど、
伯父も あ?ちゃんも 知ってる大阪が出てきたから
説明なんかもしてくれたんや。
床に 「大阪市パノラマ地図」があって
みんなで 知ってる建てもん(建物)を 捜しては
喜んどった。
ところで 終戦後 よく見られた 光景やけど
カンテキ (※2) で 火を いこして
サンマをやいているおかあちゃんなんかも
おったなぁ…。
って うちの記憶の中では
遙かに ちっこいときの ボンヤリした 記憶やけど
相方は 戸外で よう サンマ 焼いとったって。
さて 「カンテキ」って なんやか わかるかな?
ほんまに 昔の大阪を見ることが でけて(出来て)
実際には 見たことないのに うちの
遺伝子が覚えとるんかなぁ…
なかなか楽しい一日やったわ。
『大阪くらしの今昔館』へ
相方 とあーちゃんと えいみ と
あーちゃんの兄(うちの伯父)と
の 4人で 行ってきた。
江戸時代の天保の大坂の街並みを
上(10F)から眺めた。
これは そのころの 街並みを実物大に
復元しとるんやそうや。
火の見櫓と 物干し台が 見えとる。
もぅ少し 左に 移動したら
人が いっぱい 集まっとるところがある。
なんやろぅ と
下(9F)に下りてみたら、
「ウルユス」 (※1)ちゅう看板の
合薬屋の中で
琴の演奏会を やっとった。
琴と 三味線と 和製の胡弓みたいな楽器で
ちょうど「月の砂漠」を 演奏しとったわ。
そのあと 琴に合わせて
「うさぎ うさぎ 何見てはねる? 」と
「かごめ かごめ かごの中のとりは? 」の
2曲を みんなで 合唱したんや。
琴の演奏会が終わったら
その階にある 町屋を 見学してまわった。
人形屋の前では こま回しや ぶんぶん鳥?を
回して 遊んだで。
「唐高麗物」てゆう 看板が上がった唐物屋(輸入商?)では
エレキテルの模型があった。
密かに (わぁ… こんな所に 源内さんがぁ…)って
喜んでしまったわ。
係の人が ここで 商家の戸締まりの仕方を
実演して見せてくれはった。
なかなか 工夫されてて おもしろかったわ。
このあと 8階に下りて
近代 (明治・大正・昭和) の大阪を見たんやけど、
伯父も あ?ちゃんも 知ってる大阪が出てきたから
説明なんかもしてくれたんや。
床に 「大阪市パノラマ地図」があって
みんなで 知ってる建てもん(建物)を 捜しては
喜んどった。
ところで 終戦後 よく見られた 光景やけど
カンテキ (※2) で 火を いこして
サンマをやいているおかあちゃんなんかも
おったなぁ…。
って うちの記憶の中では
遙かに ちっこいときの ボンヤリした 記憶やけど
相方は 戸外で よう サンマ 焼いとったって。
さて 「カンテキ」って なんやか わかるかな?
ほんまに 昔の大阪を見ることが でけて(出来て)
実際には 見たことないのに うちの
遺伝子が覚えとるんかなぁ…
なかなか楽しい一日やったわ。
(註) ※1 「ウルユス」ちゅうのは 江戸時代の万能薬の
名前なんやてぇ。からだの中の悪いもんを
空(カラ)にすることから「空ス」をバラバラにして
カタカナで 読んだのを クスリ名にしたそうや。
なんか ウソみたいな ネーミングやなぁ…。
(註) ※2 「カンテキ」は うちが
子供のころから 聞いとった語や。
「七厘(しちりん)」のことやねんけど、
うちは 実は 「しちりん」ちゅう
呼び方を 大人になって初めて知った
んや。祖父母は「カンテキ」って ゆうとっ
たからなぁ…。
名前なんやてぇ。からだの中の悪いもんを
空(カラ)にすることから「空ス」をバラバラにして
カタカナで 読んだのを クスリ名にしたそうや。
なんか ウソみたいな ネーミングやなぁ…。
(註) ※2 「カンテキ」は うちが
子供のころから 聞いとった語や。
「七厘(しちりん)」のことやねんけど、
うちは 実は 「しちりん」ちゅう
呼び方を 大人になって初めて知った
んや。祖父母は「カンテキ」って ゆうとっ
たからなぁ…。
コメント
コメント一覧 (9)
大変ね。(?ー?;
重なるときはいろいろ重なるからねぇ…
ほんと。
また 復旧?したら
連絡下さいね。
鉛筆たくさんありがとうございました♪
とっても嬉しいで?す。
お礼はセレブな時に・・・。
当方 忙しい時にいろいろ重なるもので
out look expressが起動しなくなり
サポセンで1時間半も指導してもらったにもかかわらずとうとうリカバリーになりそうです。
プロバイダーを変えたばかりなのに
また設定かと思うと・・・
当分 送受信できなさそうなので
音沙汰なくても忘れないでね。
「バッチン」も「ベッタン」も
音からきてるんやろね。
うちも ネットをしてる人
あんまり 知らんからなぁ…。
今度 一緒に 昔遊びを せぇへん?(笑)
そやけど 思い出すかいなぁ。
やってみたら やり方
忘れとったってこと よぅあるからなぁ。
うちの田舎では「パッチン」とか言っていたような・・・
この話題になると、
どうしても謎を解明したいのが、
「ゴムダンス」の歌なんだけど、
私の田舎の友人は、
ネットをやっている人が、
ほとんどいないので、
ネットでは謎の解明は無理なのよね?
「おじゃみ おひと?つ おふた?つ…」
なんて ゆうとったなぁ。
うちも 娘がちっこいとき 作ってやったで。
母は なかに 枕の中に入ってるみたいな
そば殻を入れとったけど うちは
小豆で 作ったわ。
どっちかと ゆぅたら そば殻の方が
手になじんで ええもんや…。
男の子は ベッタンで 遊んどったなぁ…。
えぇ?と これは カードゲーム。
標準語?では なんちゅうんやったっけぇ…。
そうそう うちも 昔 生徒達に
笑われたこと。
「いんじゃん しいやぁ…」って
ゆぅたら
「先生! それは ジャンケン」やでぇってね。
インジャン、 ジャイケン とか
ゆぅたけど 実は 標準語?は「ジャンケン」 やったんやぁって
初めて そのとき 知ったわ。
「お?じゃ?み?、
お手の?せ、お手の?せ、
お一つ落としてお?じゃ?み♪」
とか、歌って遊んでました。
私もこういうイベント大好きです。
ところでち?ちゃんってほんとに大阪人やねんね。
私は「カンテキ」って大阪へ嫁いできてからお姑さんが使っていて初めて知りました。
それからお二人さん
お手玉のことはなんて言いますか?
私は「おじゃみ」と言って子ども達(塾生)に笑われるのですが・・・。
これって大阪弁?神戸弁?
イベントに「おじゃみを作ろう」ってあったので市民権を得た気持ちで書いてみました。(笑)
聞いとった「今昔館」へ
行って来たで。
実は 母の実家の本家は
この近所にあって そこで
今でも 商売してるんや。
だから 伯父にも母にも
ここら(この辺)は お馴染みの
場所やねんけど あんまり
近いとこにできたから
行ったことなかったんやって。
次女とうちが あんまり
ゆっくりと 見とるから
みんな 出口のところのテーブルで
コーヒーなんぞ 飲んで
大分 待っとったらしいわ。
母とは このペースの違いから
いつもは 美術館・博物館巡りは
拒否されるんやけど 今回は
伯父も誘ったから よかったみたいやわ。
なかなか良かったやろ?
うちは一人で行って、
結構じっくり遊ばしてもろたわ。
お義父さんを連れていってあげたいな?とおもたんやけど、
酸素ボンベ引っ張るようになってから、
遠出はせんようになったからね?
足元に大阪の地図のある(ナカちゃんの写真の)ところに、
かなりしつこうに居座ったんやで、私。